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10円のお小遣いから始まった関わり
Episode 1
私が印刷業界に関わって、早半世紀が近づこうとしています。 私の叔父が、香春口で昭和23年に山田謄写堂を創業し、 謄写版印刷を始めていました関係で小学生の頃から会社によく遊びに行っていました。 目的は叔父さんから、挨拶をすると小遣いを貰えるからです。 その頃のお金で10円ぐらいだったと記憶してます。
私の家庭は父は私が三歳の時に47歳で他界し母と男五人、 女四人(一人は六才で他界)の九人兄弟でした。 兄貴達の収入で何とか生活して居ましたが食べていくことさえ侭ならない状況でした。
幼児期から小学生、中学生の頃の楽しい思いでは皆無でした。 長男はサラリーマンを10年して辞め叔父の会社で文字書きをし四男は謄写版の印刷工と営業を兼務して働いていました。 女性が何人かで、豆電球の下で、カリカリ音を立てながら字を書いていました。 材料はザラザラした鉄を木の枠で囲んでいる物と鉄筆と五ミリ方眼紙の線が入った蝋を紙の様にした蝋原紙でした。 文字に間違い無いか見終わると印刷の工程にはいります。 文字の抜けなどありますと前後を修正液で消してはじめから書き直します。 今では考えられない作業です。
謄写版の印刷機は土台があって木枠の四方に、蝋原紙を電気コテで貼付け、木枠の蓋の手前にゴムを付け、 斜め上で固定しローラーが手前から先に行くとゴムの力により 蓋が開き印刷した紙を左手で素早く抜き取る、その作業の連続て必要な枚数を印刷するのです。 ちらしみたいな一枚物はそれで出来上がりですが、本などの頁物は、折ったり、頁どりしてホチキス留めし製品として納品していました。
中学生三年の夏休み、野球部のクラブも終わり、一ヶ月間山田謄写堂でアルバイトをする事になりました。 外から見るのと中に入りアルバイトのお金を貰ってって仕事をする事の違いがよくわかりました。 この時からが私がこの業界に興味を持った第一歩かも知れません。
10円のお小遣いから始まった関わり
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Episode 2
山田謄写堂でのアルバイト体験と印刷の歴史
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