川崎営業所開設と私の人生の転機

Episode 30

川崎に営業所を開設し、私は毎週川崎に行く事にした。駅前を歩いてみるとざわざわしてデパートもなく、決しておしゃれな街でない所が、何故か北九州の小倉に似てる感じがした。駅の横にJALホテルがあり定宿にした。仕事の方は何度かこなしていたが、時間帯が不定期で北九州から川崎に行った社員が大変だったが、良く頑張ってくれていた。川崎では夜の街に出る気がしなくて、いつも食事して、ホテルのバーで飲む事が川崎でのパターンとなっていた。
第8期の決算は売上げは22,482万円で、営業利益は-365万円となった。 売上げは下降気味で経費がかなり増えての結果となった。パチンコのデザインは苦手でしたが、山口でパチンコ専門の印刷会社があり、そこでデザインを担当していた社員が入社する事になり問題は解決した。彼は非常にデザインカもあり、優しい性格で他のデザイナーを指導し、当社のデザインカの評価が上がった。 地元では、固定したお客様がいて、ある程度の仕事はしていたが、東京の仕事量、受注金額に比べるとかなりの差があった。
私たち兄弟夫婦は相変わらず日曜日はみんなで集まり、昼食をして、夕方までおいちょかぶをして過ごしていた。夏過ぎから女房の様子が少し変と感じていた。肩、背中が痛い、何か元気がない、花札を●ぽろりと手から落とす。ある日突然四国の高松の長女に会いに行くと言い出した。その日帰りが遅く、理由を聞くと新幹線のこだまに乗車して帰ったの事。我が家には、女房が道端で拾ってきた「りき」という名前の犬と、「まりちゃん」という猫がいた。女房には凄く慣れていて、私にはあまり寄り付かなかった。
日に日に女房の状態が気になってきたので、病院に行くように何度も言ったが「人間死ぬ時は死ぬので」と言って取り合わなかった。平成15年も年の瀬になり、振り返ると慌ただしい一年になった。 この年民主、自由両党が合併、新「民主党」が誕生、北海道十勝沖地震が発生、歌謡曲では、SMAP、福山雅治、森山直太朗が活躍、プロ野球ではダイエーが日本シリーズで優勝、斉藤和日が最多勝。 平成16年の新しい年が来たが、この年が私の人生最大の危機となろうとは・・・・・・

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東京での挑戦と家族の絆、成功と試練の7年間

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家族の幸せと迫りくる別れの時

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