平成20年の飛躍と試練 〜順調な成長とリーマンショックの波〜

Episode 38

平成20年(2008年)前期の売り上げは36,595万円に達し、 先の見通しも明るく、従業員にも給与、賞与も満足してもらえる金額を支給できるようになり、 私自身の気持ちにやっと余裕が出てきた。
東京で新規の得意先もでき、地元では日本一のタクシー会社で創業者の会長とロータリークラブの縁もあり、仕事よりも個人的に親しくなった。 会長はゴルフが好きで、毎週1~2回色々なゴルフ場でプレーをした。 沖縄、北海道、長野県の蓼科、軽井沢など、会長と知り合わなければなかなか行けないゴルフ場ばかりで、少し天狗になった時期でもあった。
P店の仕事も順調で、霧島に新店舗を出しその仕事も受注する事が出来た。 霧島は歌で歌われた「花は霧島、タバコは国分」の旧国分市のP店激戦区の位置にオープンして、苦戦するだろうと思っていたが、素晴らしい店長がいて地域1番店になった。 都城の店舗に寄って、霧島に行くパターンと逆のパターンを繰り返しながらこまめに訪問した。 国分は一代で築き上げた京セラの稲盛氏の出身地で工場もあり、立派なホテル「ホテル京セラ」も存在感があった。 渡り通路には地元で発掘された古墳時代の品々が年代別に展示されていて、良いホテルだと感心した。夜の街もこじんまりとしていて、魚、黒豚、特に新鮮なキビナゴ、酒は焼酎が安く、行くたびに満足した。キャバクラ、ラウンジ、スナックなどよく通った。
東京の仕事はベテランの社員が担当、P店の仕事は経験者である社員が担当、地元の不動産(マンション)の仕事は役員のデザイナーが担当して3本の強い柱が出来た。 私は前へ前へと突き進んで行った時期で、ハードな仕事でも疲れを感じることはなかった。 売り上げも40,286万円、営業利益も2,000万と飛躍した年であった。
この年9月にはリーマン・ブラザーズが経営破綻、福田首相辞任、麻生太郎が自民党総裁、麻生内閣発足、松下電器産業が社名をパナソニックに変更、米国ではバラク・オババが当選。初のアフリカ系大統領、12月東証大納会、終値 8860円で年初比42%減、歌謡曲では嵐の「truth/嵐の向こうへ」「OneLove」がヒット、プロ野球では、西武が巨人を破り優勝

平成20年の飛躍と試練 〜順調な成長とリーマンショックの波〜

Episode 38


Episode 37

2007年の新たな挑戦 〜家族団欒とP店オープン、そして再起への一歩〜

PREV

1995 - 2024 HEARTY BRAIN Inc.

Sound On Sound Off