山田謄写堂でのアルバイト体験と印刷の歴史

Episode 2

私の山田謄写堂でのアルバイトですが、営業のお手伝いでした。 お客さんの所に校正を持って行く、終わったら取りに行く、 印刷物を届ける、集金に行くなどがその主な内容でした。
校正紙ですが蝋原紙をコピーの上に乗せて、コピー機に通してました。 ゆっくり、ゆっくりと出てくるコピー紙は字が白く、周りは濃い青色です。 得意先は公官庁、製鉄所、学校等と記憶しています。 お客さんの担当者は皆さん親切で優しい方々でした。
「暑いのにご苦労さんと」言って麦茶を飲ませてくれたり、お菓子を頂いたりしました。 1番嬉しかったのは「短時間でよくできたね、会議に間に合って助かったとよ」 と褒めて頂く事がよくありました。
私自身恥ずかり屋でしたのですが、お客さんと話をするうちに慣れて来て、 少し楽しくなってきた思い出があります。
営業しない時は、中で製本の手伝いをしてました。 印刷した紙を折ったり指にゴムサックをつけて丁合いをしたり、 ホチキスで止めたり、色々な経験をしました。
謄写版は、孔版印刷の一種であり「ガリ版」ともいいます。 謄写印刷の原型は、1893頃、トーマス・エジソンが開発した「ミメオグラフ」です。 これを日本に合うように改良し、謄写版として発明したのが堀井新治郎親子で、 完成したのが1894年です。
非常に簡易な印刷装置で、原紙とインクさえあれば電気などがなくても印刷可能なのが特徴でした。 小学校、中学校で副教材や問題用紙、労働運動や学生運動のビラ、 手軽さから少部数の出版にも多く活用され、1950年ー1980年代には演劇や映画、 テレビ番組の台本、楽譜文芸同人誌など「ガリ版文化」と呼ぶべきー時代が築かれました。
特に日本や中国で多用された理由は、文字の数が数千から数万種類あり、 活版印刷が欧文より大掛かりな態勢と費用を必要としたからであると言われています。 当時はガリ版印刷、タイプ印刷(後ほど出てきます)を軽印刷と呼んでいました。 活版印刷は新聞社や出版社などが良く利用していまして、 どちらかというと大掛かりな印刷会社です。
次は活版印刷についてお話ししたいと思います。

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10円のお小遣いから始まった関わり

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