平成10年の激動と再出発

Episode 24

平成10年の年については、さまざまな出来事があった。
日本経済は金融危機の真っ只中で、前年、山一證券と北海道拓殖銀行が同時破綻した後、日本長期信用銀行、立て続けに債務超過に陥り、特別公的管理銀行として国有化された。 私は倒産した会社を目の当たりして、いずれはと思いつつ机の整理などをして気を紛らわせていた。 外注先の支払いはどうしようか、社員をどのようにしていこうか、今の事務所をすぐに出ていかなければと色々考えていた時期であった。
地元の広告会社と、一年前スナックで紹介されたホテルの仕事が主で、その二社と何件かのお客様の売上予想をたて、外注先の支払い金額を50回ぐらいに分けて手形を切って支払うように話をつけた。 移転先は地元広告会社の横にビルがあり持ち主はロータリークラブの会員であった。 早速お願いに行ったが、3年後には道路が通り、立ち退きになるのでと言われた。 急な事なのでその間だけでも借りるようにお願いし、すぐに引っ越しをした。 独立して3回目の決算は、売り上げ7,130万円、売上総利益3,563万円、営業利益-313万円と一気に落ち込んだ。
ある日整理した名刺から気になる一枚が目についた。 後輩の友人の同級生でシステム会社の大阪支店長をしていた。友人に電話をして話を聞くと、今は東京で副社長になっていた。 会えるようにお願いをいていたらある日、会社に四男の兄貴が訪ねてきた。
今は大変だろう金が必要な時はある程度は用意する。と言ってくれた。 私は四男と四男の嫁さんとは仲が悪かった。 特に嫁さんとは法事や正月に集まっても口を聞かない間柄でした。 不思議に思い話を聞くと私が大変な時に娘(長女)の結婚式に家族全員で出席したことが物凄く嬉しかったので、私が困っているときに何か力に成りたいとのことであった。
私生活では、長女が10月に付き合っていた男性と結婚した。 四国高松の神社で式を行い、中華料理店で披露宴をした。 男性の両親、親族も大変穏やかで、優しい方々が揃っていました。 私たちは、4人で出席し大変お世話になった。 この頃私の状況は最悪で、長女には大したことはしてやれなかった。 女房が親戚などからお金を工面して長女にある程度のことをしたと後で知った。
話を戻すが、後輩の友人で、東京の副社長になっていた方にアポイントが取れ、東京に行く事になった。 これが私の仕事の運命が大きく動き出す事になる。
世の中は池袋の通り魔殺人事件、桶川ストーカー殺人事件が起きた。 銀行15行に総額7兆4500億円規模の公的資金資金による資本注入をないていした。
宇多田ヒカルのデビュー作「FirstLove」がオリコンアルバム売り上げ1位、「だんご3兄弟」などはやっていた。 プロ野球では松坂大輔(西武)上原浩治(巨人)工藤公康(ダイエー)が活躍した年であった。

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