昭和の高度成長と印刷業界の変遷

Episode 5

昭和35年の12月、池田内閣が高度成長政策を打ち出してからの日本経済は、 所得倍増政策により経済成長率は9%前後で持続し、 10年間で国民総生産、国民所得ともに倍増させようというものでしたが 経済成長率は当初の予想を超える10.9%平均で推移し、 経済大国への道を歩みはじめました。
「神武景気」から「岩戸景気」の高度経済成長は、 設備投資や技術革新、新たな需要を生みだし、 不足した労働力は地方からの集団就職によって補われました。 特に若年労働層は「金の卵」としてもてはやされるとともに、 旧タテ割社会から脱した、新たな都市文化の担い手となった時代でした。
この時代の若年労働層こそ昭和22年、23年、24年生まれの「団塊の世代」の私達なのです。
印刷業界も景気が良く、土、日曜、祝日も返上して 今では考えられない位良く働きました。
この頃からの印刷機械の進歩は、急速に進んでいきました。 活版印刷、軽印刷(タイブ印刷)オフセット印刷が市場のニーズに対応して、 企業間の競争もありましたが、それぞれの特徴を生かし仕事のやり取りをしていました。
そして活字に変わり写植(写真植字)が登場しました。
写植機という専用の機械で文字の形を撮影して印画紙に焼き付け、 通常は白い紙に黒い文字として現れます。これを(版下)といいます。 印刷原稿の台紙に貼り込み、製版して印刷します。 写真植字を初めて実用化したのは日本人でした。 石井茂吉、森沢信夫で1929年に実用化しました。
印刷物の需要増加、文字で多彩な表現できる写植が一気に普及し 印刷のオフセット化が急速に進みました。 1990年中盤までは広く印刷用の文字として使われました。 しかし写植機、写植も新しいシステムの登場により姿を消していくのです。 昭和40年から長期に及んだ(いざなぎ景気)は高度経済成長を加速化させ、 国民総生産(GNP)が世界第2位へと躍進した時代でした。
印刷需要もピークに達し、印刷会社の数も大手から中堅、小規模まで 物凄い数の会社がありました。 この時代に存在していた、印刷会社の9割は、倒産廃業、合併などで姿を消しました。 忙しくて、景気の良いのを謳歌していたこの業界にも、 昭和48年第一次オイルショックが起きました。 その衝撃は日本経済を直撃しました。 私達の印刷業界にも、信じられない事が待ち受けてました。
私のこの時代は彼女も出来て、仕事に身が入らないときでした。 仕事が終わるとデートするか、兄貴達とこぢんまりした料亭に行き、 風呂に入り浴衣に着替え酒を飲み、歌や踊りで夜遅くまで ドンチャン騒ぎをしてました。 友達とは連日、キャバレーをハシゴして楽しい日々を過ごしてました。 この頃小倉には、7〜8件位キャバレーが有ったと記憶していますが クラブも数多くありました。 食事するところもツケ、キャバレーもツケ、クラブもツケ、 それは、あっという間にかなりの金額に膨らみました。 会社にお化粧をしないで来るので、夜の顔と全く違い、誰かなと思ってると、 呼びとめられ催促される始末。
ある夜、家で久々に夕食を取っていると、兄貴から 「毎日、毎日遊び回って飲み屋の借金どうするんだ~ 早く結婚した方が良いんじゃないか」といわれました。 「最近、女性と付き合っているみたいだがどうなのか?」と聞かれました。 黙っていると、 「結婚したら少し落ち着くし、飲み屋の借金も兄弟で何とかする 結婚式も派手にしなければいいし、飯も当分俺のところで食え」 と言ってくれました。
遊びたい気持ちはありましたが、借金も無くなるし、 スッキリ出来ると思い、今度のデートの時に話す決心をしましたが...。
私21歳、彼女19歳の初冬でした。

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