転機の連鎖 〜震災と決断の年〜

Episode 20

12月になり今年も残す所半月ぐらいの時、私と会長は会長室で会社の将来について、ゆっくり話すことができた。 その翌日、会長の方から私もいろいろ考えた上息子を来年4月から会社に入れるうと考えているとの話がでた。
息子さんは大変優秀で神戸大学を卒業し、世界的に有名なコンサルタント会社に勤務していた。 会長としては、私が業界のこと、仕事の事などを教えて将来引き継がせるのが一番良いと考えたと思う。 その考えも納得するし、私も将来悠々自適に暮らせるだろうとも考えた。
会長と私は32歳ごろからの付き合いですでに15年位の月日が経っていた。 酒を飲み、カラオケで歌い、ゴルフ、旅行から銀行の付き合いかた、私の人生のにおいては、数えきれないほど多くのことを学び尊敬していました。 しかし私の中では、何かすっきりしないものが残っていた。
新しい年になり、今年はどうなるかと思っていた時、1月17日阪神・淡路大震災が発生した。
死者、行方不明者6437人。
テレビに釘付けになり、こんな事があるんだと、改めて自然の怖さを痛感した。 会長との話しは中断していたが、私はこの時ほど後先考えずに会社を辞める事に気持ちが傾いていた。
2月中頃口頭で会長に伝えた。かなりびっくりしたと思ったが、不思議に私はすっきりしていた。 辞表を提出し、朝礼で社員に挨拶をして会社を去った。昭和25年叔父が始め、長男、そして私と70年続いた会社であったが、私がいて続けるより良いだろうと考えた。 しかし、今の私には貯金が無しに等しい、毎月家のローン、双子の娘の仕送りそれに学費、生活費等の毎月の金額はかなりの金額になる。 女房は気が強そうに見えるが、そうではなく相当の心配をして何度も、何度もどうするのとと尋ねてきた。 私は友人がホテルチェーンの支配人をしていたのでまず別府、唐津、玄海、八幡のホテルを回ることにした。 実際これから何をして食べていくのか全くの白紙状態であった。
この年オウム真理教者による地下鉄サリン事件が東京で起きた。 福山雅治の「HELLO」がヒットし、歌手のテレサ・テンが亡くなった。

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印刷業界の革新と私の人生の転機

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試練と新たな挑戦 〜個人事業から株式会社への道〜

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