試練と新たな挑戦 〜個人事業から株式会社への道〜

Episode 21

平成7年3月初め、車で別府に到着した。
会員料金なので一泊5000円ぐらいで泊まれる。 夜ビールと焼酎を飲みながら今後のことを考えた。 なかな答えは出ない。
次の日唐津でも同じ、玄海のホテルで露天風呂に入り夜空の星を眺めながら考えたのが、自分は今の業界でしか生きていけないので、まず個人で仕事をしようと決断した。 次の日八幡で支配人をしている友人と合流、個人で仕事をするからと話をしたら、今、景気が悪いし食べていくのは大変だ、会長と話をして仲直りをした方が良いとの助言をもらった。
私の友人達は私と会長の共通の友達であったので皆が皆んな同意見でした。
「マックやまだ」の商号でスタートしたが世の中甘くなかった。 2枚の個人のカードでキャッシングを繰り返しながら金の工面をし、政策銀行の教育資金を利用したりして凌いだ。
平成8年会長と付き合いのあった旅行会社の社長から電話あり、貴方の前の会長とは縁を切ったので、うちの仕事をしないかとの連絡があった。
私もよく知っているが、旅行会社のチラシは大変だとはわかっていた。
そこでは旅行会社が入居しているビルの一室を借りることにした。 これを踏み台にしなければと考えて、まずデザイナー探しから始めた。 個人でしている2人を見つけて受けてもらうことにした。
個人としての初めての決算は、売上8,611万円、売上総利益1,671万円あつたが175万円の赤字で終わった。
パートの事務員を1人雇い、毎月B3チラシ4本を受注し、佐賀、熊本、広島、北九州を新幹線と列車利用しかけずり回った。 体は疲れていたと思うが全く疲れを感じなかった。
おかげで旅行会社の他の印刷物を全てする事になった。 その他にも地元広告会社や知り合いから仕事も増えていき目処が立ってきた。
その頃、印刷は小倉での大手と中堅の印刷会社に発注していた。
株式会社を設立しようと考え、12月8日株式会社ハーティーブレン設立した。
世の中は、村山首相が退陣して橋本内閣の誕生、ロシアではエリツィン大統領が再選、米国ではクリントン大統領が再選、「男はつらいよ」の渥美清が亡くなった。
歌謡曲ではMrChildrenの「名もなき詩」がオリコンTOP1 安室奈美恵の活躍が目を引いた年であった。

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転機の連鎖 〜震災と決断の年〜

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デザイン内製化への挑戦と予期せぬ転機

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