昭和から平成へ。印刷業界の技術変革

Episode 11

昭和64年、新しい年の幕開けです。
日本の景気は依然良く、株はどんどん上がり土地の値段も上昇していきました。 いわゆるバブル景気でした。 リクルートの未公開株を譲り受けていたかなりの数の政治家が責任をとって辞任し 2月24日には昭和天皇の大喪の礼が執り行われました。
昭和から平成へと年号も変わりこの年の4月から消費税が3%課税されることになりました。
印刷業界もワープロの出現によりタイプライターが姿を消して行きました。 しかし1978年に最初のワープロ専用機が東芝から出て1980年代初頭には各社ワープロ業界に参入 1980年代中頃までに急速に普及しましたが1980年代中頃からパソコン用のワープロソフトが出現し ワープロとパソコンの間での攻防戦が始まりました。
1990年代になるとワープロはパソコンとの競争に敗北して 2000年初頭には各社がワープロの生産を終了しました。
コンピューターの進歩が印刷の前工程を大きく変えていきました。 印刷機械の本体にも次第にコンピューターの技術が導入されました。 今まで熟練者しか出来なかった印刷物が自動でインクの色の調整が出来たり 版を機械に掛けるのも自動になったり、女性でも印刷機械の操作が出来る様になったのです。
コンピュータと印刷の出会いにより印刷業界の技術革新には目を見張るものがありました。 半世紀を振り返って見てみますと、技術革新が熟練者から仕事を奪い 印刷工程を省ける様になり印刷会社で働く人が減りました。 便利になったのに伴い各工程の作業が早く進み今まで以上の仕事をこなせるために値段が下がっていったのです。 技術革新について行けない会社は廃業し値段競争に負けて倒産し 値段競争に一時的に勝っても赤字受注となり経営が成り立たなくなり倒産...。 北九州からも老舗・中堅の印刷会社のほとんどがその姿を消していきました。
私は公官庁や商工会議所など、本来地域の中小企業を育てるべきところが 家族経営や五十人規模の印刷会社に競争入札をさせ、ただ安い所に発注するというシステムは 頑張って大きく成れば成る程、その経営を苦しくさせていくとだけだと思います。
さて私の手術ですが、麻酔が効いてるなかで先生のひと言は「 おや、肝臓が綺麗だ」でした。 その頃はまだ腹腔鏡の手術は普及して無く腹を15センチ位切りました。 術後2~3日位はベットに横たわっていましたが身体はみるみる回復していきました。 胆嚢の中には小さな砂の様な石が270数個ありましたが、手術をして二週間ぐらいで退院したと記憶してます。 仕事の方はバブル景気で忙しく東京の方にも仕事で何回か行きました。 お客さんから銀座の小さなスナックに連れて行ってもらったとき ホステスさんが株で儲かった、損した等の話をしていました。
会社に復帰して改装したり、前の家の空き部屋を社員の休憩室として借りたり 給料の見直しをしたりと、忙しいながらも充実した日々を過ごしていました。
ある日会社の近くのを歩いていると友達から、私の顔を見るなり 「お前死んだじゃないのか‥。」と声を掛けられビックリしました。 兄弟を含め、私の病気が良くなるとは思って無かったのでしょう。 そんな中、一緒に会社を立ち上げた友人から「話があると」連絡があり 次の日に会社で会う事にしました。
そしてビックリする「ある筋書き」を聞かされる事になりました。

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予期せぬ融資と個人的な負担

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